言葉もなく車から家に戻る我々。
反射式ストーブを効率的に使うことができる「仏さんの部屋(6畳)」が我々家族のベースキャンプ地となりました。
愛知に住む弟に連絡したいが電話はつながらず、いつ届くかわからないメールを送りました。
携帯の充電が気になり、電源を切りました。
絶え間ない余震の中、特にすることもできる事もないので寝室へ。
寝る事もできない夜がふけ、明けていく。
翌朝、携帯の電源を入れると新潟に住むおじさんからとんでもない数の着信がありました。
連絡をとると、おばさんと娘さんが仙台にいるとのこと。
山形の親戚に連絡をとり、おじさんは仙台に救出に向かう。
それぞれの震災。
電気のない生活。換気扇を使えないため、お湯を沸かすとガス臭い部屋。
ラジオから流れる絶望的な状況。そしてラジオを切る。
つながりにくいipadで、停電の復旧具合をみました。
こんな中で復旧活動をする人。HPを更新する人。必死に働いていらっしゃる姿に頭が下がります。
仕事の事を考えました。日本は、秋田は、我々はどうなってしまうのだろうか?
本当に怖かった。